昆布は商材であるまえに食材だ
最初は、とても少ない生産量から始まります。
昆布だけでなく何でもそうだと思います。
とても少ない生産品は、生産者が〝欲しくて〟作ります。
それは、美味しいしとか、便利だからとか様々な理由で、その欲を満たすために、です。
だからこそ、より美味しいものや、より便利なものを極めていくのだと思う。
だけどね、その良さが広まってくると、生産量もそれに見合うように多くなっていきます。
それは自分たちのためだけではなく、他人のためになるからです。
他人から感謝されるようになると、その分の対価とそれに見合った自己重要感が高まるので、一生懸命それに取り組むようになります。
そして、その感謝と対価と自己重要感が大きくなればなるほど、生産量を多くするために、さらなる人手を必要としたり、資材や施設を大きくしたり、資源を無駄遣いにしたり廃棄したり、自然を破壊することにまでつながってくるの…です。
そこには、生産品の品質を低下させてまでも、大量生産を目指す現実があります。
欲する人々が多くなれば、そこに関わる人々の〝欲〟も大きくなる。
関わる人々の欲が大きくなればなるほど、その生産品の価値は品質よりも数量になる。
数量に価値が移ると、生産する側は単に生産量を多くすることで対価を増やすだけのマシーンになり、そこに命をかけるほどの情熱や自己重要感をもったりするのです。
本来の生産者は、〝質の良いものを作って何ぼ〟なのだけれど、周りの様々な環境に毒されて方向を失ってしまう。それは、生産者だけでなく、そこに関わるあらパパさん達も同じこと。
昆布は商材であるまえに食材だということを忘れてしまった。
特に、昆布を商材として生きているあらパパさんたち昆布関係者はなおさらだ。
この頃、昆布大使あらパパさんへ、様々な問い合わせが多くなってきました。
それは、傷が多いとか、白粉が多いとか、幅が狭いとか、ヒレ刈が悪いとか、そういった〝規格〟に関する事ではなく、〝美味しさ〟に関する問い合わせが多くなってきています。
先日も一件ありました。
直接、生産者から良い昆布(袋詰めされた昆布)を購入したのですが、ダシが出ない。
昨年の昆布と比べて半分くらいしかダシが出ない。
倍の量を入れると美味しくなるけれど、それでは高価な昆布を購入した意味がない。
こういった問い合わせは、上に書いた『昆布は商材であるまえに食材だということを忘れている』ということ、これが根源的原因です。
見た目だけを気にする日本人の氣質なのか?
美味しいものを見極める五感が失われてしまったのか?
昆布を食べる習慣がなくなったから、質の良し悪しがわからなくなったのか?
あらパパさんが、こんなこと言うのも何ですが、〝昔々のそのまた昔からこれまで行われてきている〟昆布の等級選別や検査格付って、老若男女が作る千差万別の製品を出来る限り統一させて、混乱なく流通するように考えられた〝しくみ〟の一つであって、決して美味しい昆布を作り上げるための〝しくみ〟ではないのです。
今、昆布の生産や流通の現状を大きく変化させることは、あらパパさん自身も望んでおりません。しかし、今の時代は〝量より質〟が求められる時代です。
既存の環境を残しつつ、出来ることから新たな取り組みを考え行動しましょう。
昔々の環境から現在の環境に移り変わってきた農業をお手本にしましょう。
昆布に関しての事は、あらパパさんに任せてください。
特に生産者への指導とか見極めとかなら、あらパパさんの組織の人間には誰も敵わない。
先ずは出来る事から始めましょう。
個人的にでも興味のある方は、あらパパさんへご連絡ください。
電話でもメールでも、浜であらパパさんを見かけてたら声をかけてくれてもいいですよ。
『美味しい昆布を作りたい』って
たくさんのアイディアを長年考えていても、ほんの少しでも実行しなければ、全く考えないで生きていることと同じです。
ご連絡、お声掛け、待ってます
ちなみに、インバウンド最前線ではこのような現象も異常ではない。
質の良い美味しい昆布製品を差別化することができるのであれば、近い将来このような状況も大げさではないと思う。
写真の提供は『まちづくりデザイン観光センターのかこうけいこさん』より