三つの想定

こんぶに生かされてきた、あらパパさんは、これから変わる(すでに変わってる)世の中を、大きく3つに分けて想定しています。

この時点で、怖いな~ヤダな~、また変なこと言ってるぞ!
そう思った方は素直にスルーしてください。
皆さんを不安にさせるために書いてるわけではなく、自身の心の備えのための記録として書いてるだけですから…。



まず一つ目の想定は、GW明けまでにコロナウイルスが終息して、なんやかんやと年内には全てが収束して、よかったね~と言いながら家族みんなで生寿司をたらふく食べながら正月を迎える。

この場合、6月から始まるさお前昆布を皮切りに、昆布製品の説明会や各漁家を巡回する昆布検査など、全道各地で通常どおり行われ、13,500t以上の格付数量が出荷される。
これはね、今年の初めのころに想定していた内容なんだけど、今の状況を冷静に判断(冷静じゃなくても)すると、かなり難しいというか、ありえないような氣がする…。



そして二つ目の想定は、GW開けも中途半端な制限と忖度ロックダウンが続く。
当然、経済も今なんて問題にならないほどの状況になる。
コロナウイルス発症ピークは終わり、そこから徐々に終息へと向かう。
なんやかんやと収束するのは翌年。
家族みんなで、なんとか解雇されるのは免れたねと言いながら、海苔巻き(例年は生寿司)を頬張りお正月を迎える。

この場合、今年の昆布漁はなんとか行われるかもしれないけれど、製品化・検査・値決・出荷・流通は、世の大混乱からまともに行うことができない可能性が大きい。
感染リスクを考えると昆布採取も製品作りも『手伝人』の確保などを考えるとかなり厳しいかもしれないね。

そうなれば、昆布の格付数量は史上最低であった昨年度(12,921t)なんて問題にならないほど大きく下回る可能性も考えられる。
それでもね、翌年には収束するので経営の方はなんとか持ちこたえることができ、解雇もされずに済むかもしれない。



そして三つ目の想定は、中途半端な規制が解除され街中が徐々に賑やかさを取り戻すも、第2波のコロナウイルスが秋以降に蔓延し、身の回りの方々が多く亡くなる。そうなって初めて、日本中の国民も国も『非常事態であったこと』に氣が付く。
時既に遅しではあるけれど、国も法律云々関係なしに本格的なロックダウンを始め、やっとの思いで来年の年末にコロナウイルスは終息する。

今年の年末は夫婦ふたりでいつもと変わらないご飯を食べながら寂しく過ごし、来年の年越しは『おじいちゃんもおばあちゃんもコロナで死んじゃったね』『最後に会うことも、骨を拾ってあげることもできなかったね』『解雇(自主退職)にならなかったのはあなた(疲れきった看護師の娘)だけだったね』と玄米粥を噛み締めながら家族みんなで涙を流すも未来に向かって意氣揚々と心を切り替える。
経済や流通や新たな業界が盛り上がり全てが収束するのは早くても再来年の年末以降。



ちなみにコロナの終息はコロナウイルスが絶滅するということではありませんし、世の中が収束したとしても、昨年までの世の中が戻るということではありません。

三つ目の想定であれば、世の中のほとんどの産業や業界が崩壊して綺麗さっぱりリセットされるわけだから、お金の価値も食生活も求められる仕事も何もかも全てがこれまでの当たり前では通用しなくなる。

新時代の始まりです

あーそうそう、勘違いしないで欲しいのは、あらパパさんの想定は想像ではありません。
信じられないかもしれないけれど、それなりに確実な情報と根拠をもとに想定しています。
全てを公開することはできないけれど、さらに過酷な想定も考えています。

今の段階では、二つ目か、もしかすると三つ目に近いものがあるのかもしれないかなぁ~くらいの考えでいるのだけれど、三つ目の想定にどれだけ近づいていくかは今後の国や国民の規制次第でしょうね。

残念だけど、さすがの日本人でも忖度だけではコロナを終息させることは無理だろうし、その程度では感染のピークを遅らせることくらいが関の山だと思う。
そもそも、今の混乱している世の中はコロナだけが原因ではないのだから…。
matubokkuri204019.jpg


とりあえず、今年の年末まで元気に過ごすことが目標。
それまで生きていられたら、あらパパさんだからこそできることを始めたい。いや、今からでも始められることはじゃんじゃんやっていこうかな。

昆布の浜指導ができなければZoomをつかってオンラインで行うとか、昆布の検査ができなければ問い合わせ窓口を条件に証印シールを配るとか、遊びやコミュニティーではZoomこんぶログやZoom居酒屋おらほを開店するとか…何か始めないとね。

これまではこうだった、とか、こうするのが当たり前だ、とか、そんなことしてもダメだ、とか、誰かの許可をいただかないと動けない(動かない)とか、誰かの指示を待つ(指示待ち族)とか、そういった面倒なことやつまらないことはいちいち考えないようにして、直感を大事にして生きることにする。

これまでは、不得意なことでも何でも(国語算数理科社会体育)一生懸命勉強しなければいけない世の中でした、だけど、もうそんなことをしなくてもいい。


好きなこと、得意なことだけを楽しむ、個の時代です
あらパパさんは、理科理図工理科図工給食理科かな。


朝の連ドラ『エール』の藤堂先生も『人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること。それがお前の得意なことだ。それが見つかればしがみつけ。そうすれば、道は開く』と言ってるしね。
それに、音ちゃんのお父さんも『やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい』言ってるしね。

連ドラ200410

ちなみにあらパパさんの得意なことは、昆布だけではありません。
好きなことも昆布だけではありません。
だけど、昆布の製品化から出荷までのプロ中のプロですから、消費者が生産者へ、生産者が消費者へ求め伝えたいことを説明し指導することは、あらパパさんの会社の仲間たちは『ほんの少しの努力で、簡単にできてしまう』んです。

三つ目の想定後の新時代であっても、昆布を生産する漁師がいて昆布を食べる消費者がいるとしたら、これまでとは違った仕事になるかもしれないけれど、生産者と消費者が安心して取引のできる環境を作りたい。…これは建前かな

ついこの間までは、こだわり過ぎるのは今の時代に合ってないといったけど、これからの時代は、これまでの当たり前が通用しなくなる。

そう考えると、やっぱりあらパパさんは、良いものにこだわりたい。

例えば、良いものって昆布なら1等とか産地とか種類とかそういった〝こだわり〟ではなくて、生産者自らが食べて美味しいと思うのは当たり前で、その食べ方や美味しさや製造に、情熱をもって語れる仕事が大事。

昆布だけでなく、そういった『こだわりのあるもの』を生産したり、指導したり流通させたりしたい。
これが本音かな。
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あらパパさんの叫び