断酒人生
あらパパさんのじじちゃん(父方の祖父)は、酒豪というか…いわゆる酒癖が悪いノンベイと言った方が正解な酒好き!?。
基本的にアルコール摂取を止めたあらパパさんなのですが、どうしても飲まなきゃならない時(または飲んでしまう時)があります。
そんなお祖父さんは、あらパパさんが子供のころ、酔っ払って海に落ちて死んだ。
その子供たちであるあらパパさんの父の兄弟妹は、親をみて育ったのかお酒を浴びるほど呑む息子達(兄弟妹7人中6人)はあらパパさんの父(三男)一人だけだった。
あらパパさんの父は、あらパパさんが物心つくころから40歳台前半まで、ほぼ毎日呑んでいた(家では呑まない)ように思う。朝早く出勤して、夜遅く帰ってくるので何日か顔を見ないことも少なくなかった。
そんな父は先天性の心臓病持ちだったので40歳台前半で仕事中にぶっ倒れて入院、飲酒人生に終止符を打った。
あらパパさんはノンベイという血統書付だったからか!?同年代の仲間たちよりもお酒は比較的強かった。その分、調子に乗っていたのかもしれないが、あっという間にお酒に心を奪われ、20歳台後半にはほぼ毎日飲む程のノンベイ人生を過ごしていました。
仕事に悩んだ時期も重なったのが原因の一つだったかもしれないと自分を慰める。
そんな飲酒人生を過ごしてきた2015年8月のある日、お酒を飲みながらふと思った。『あらパパさんってアルコール依存症!?』と。
思い立ったが吉日ではないが、10年ほど前にタバコを止めた時のことを思い出し、アルコールの良いところと悪いところをあらパパさんなりに冷静に考え書き出してみた。
悪いことの方が多いことを概ね理解した僕は、タバコを止めたときにお世話になったアレン・カーの著書、禁煙セラピーの時と同様に、アレン・カーの著書、禁酒セラピーを読んでみようと思えた。
早速購入し読んでみた。
予想どおり、見事に断酒成功。
8月3日から断酒人生を始めることになった。
が…今でも記憶にあるのが、8月3日から数十日間後の10月第3水曜日。入会していた日本酒の会『やわらぎ会』の月例会に何故か参加してしまった。
その日を境に、何かある度に飲んでしまっていたあらパパさん。
断酒人生を歩もうとしてたあらパパさんは一体どこへ??
今年に入ってから更に断酒に関しての思いが薄れてきたように感じ、4月の転勤後には何やらおかしな考えになってしまっていた。
転勤後3か月が経った今、元の木阿弥状態になってしまったことに気づき、再度禁酒セラピーを読んで2度目の断酒人生を開始した。
前回読んだ感覚とはまた別の感覚もあったし、全く読んだ記憶がない部分もあったので、前回とは違い、意識や断酒の考え方を確りと変えることができた。
昨年の断酒時を思い出すと、自分自身で『依存症』だということに気づき、お酒をやめようと決意してから『禁酒セラピー』を読んだため、お酒のことや依存についてをあらパパさんなりに既に理解していた部分も多く、真剣に読まなかったことで理解が薄かったり、全くしていなかったりしたことが原因でこのような結果になったのだと今回の熟読でわかった。
2016年の1月から、飲酒日を記録していました。
記録すること自体もおかしいのだけれど、その時、冒頭に書いてある一文が次のとおり。
基本的にアルコール摂取を止めたあらパパさんなのですが、どうしても飲まなきゃならない時(または飲んでしまう時)があります。
年間365日、いったい何日飲んでしまうのかチェックしてみよう。
上記太字の部分をみるとわかるのですが、アレン・カーの禁酒セラピーを理解し熟読した者であればこのような書き方はしない。
あらパパさん自身、全く理解できていなかったことがわかる。
平成28年6月26日(日曜日)、この日からの本当の断酒人生が始まりました。
どうしても飲まなきゃならない時(または飲んでしまう時)
そんな理由を掲げた今年の1月とは意識が変わり、7月の歓迎会でも、昆布の説明会後の漁協とのお食事会でも、呑まないあらパパさんは普通でいられました。
お酒に合うであろう肴が出た時は白いご飯が食べたい。次からは遠慮せずご飯を注文しようかなと思った。
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